お魚くわえて

鍼治療が世界を変えるまでの記録

大山倍達という病の再発(『大山倍達正伝』を読んで)

小島一志・塚本佳子著『大山倍達正伝』を読みました。

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大山倍達とは、極真会館という空手界の一大勢力の創始者で、昭和を代表する格闘技ヒーローの一人です。

鍼灸院の患者さんに空手をやっていた方がいて、以前、昭和の格闘技の話で盛り上がっていたら、『木村雅彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』という本を貸していただきました。

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世界最強の柔道家と謳われる伝説の柔道家「木村雅彦」の真実に迫ったこの本が抜群に面白く、私の格闘技熱が再燃しました。

いろいろ、格闘技関連について書籍を読んでみたいなーと考えた時、まず、挑戦すべきは『大山倍達』であると思いました。

大山倍達との出会い

意外かもしれませんが、私は13歳から18歳まで空手をやっていました。最初は和道流という流派に入門しました。

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高校生になった時、空手には2種類あることを知りました。

一つは、「寸止め」と言って、組手の時体に当てない伝統派系の空手。私のやっていた和道流もこちらに入ります。

もう一つは、「フルコンタクト」といって、組手の時本当に殴ったり蹴ったりする極真系の空手です。

高校生は恥ずかしいほど血気盛んな時期です。

わけもなく強くなりたいものです。強くなるためには、「実戦に近い方が良いのではないか?」と私は考え、極真系の空手である『芦原会館』に入門しました。

そこにいた先輩たちは狂ったように強く、憧れの存在になりました。その先輩達全員が、『空手バカ一代』という漫画を読んでいました。強くなる秘訣がその漫画にあるのではないかと考え、私は『空手バカ一代』を手に取りました。そして、あっという間に『大山倍達』という病に感染したのです。

空手バカ一代

空手バカ一代』は、梶原一騎先生原作の1971年から1977年まで週刊少年マガジンで連載された漫画です。実在の空手家『大山倍達』を主人公とした(後半は私の師匠である芦原英幸など、複数の弟子に主人公がバトンタッチされます)『空手バカ一代』は空前の大ヒットとなり、大空手ブームを巻き起こしました。

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「世界最強の人間、超人追求」を目標とする空手家「大山倍達」。清廉潔白で、清貧で、道を追求するために山ごもりまでする姿勢、そして、世界の格闘家たちに次々と勝利していく姿は、まさに日本の武士道を体現した姿でした。当時の少年達は、そんな大山倍達に憧れ、熱病にでもかかったかのように、空手を始めました。

私も、ブームからはだいぶ遅れていましたが、『大山倍達』という熱病に感染し、真冬の海に飛び込んだり、ビール瓶を手刀で切ったり、投げつけられた鎌を目をつぶって避けるなど、無茶なことに挑戦しまくりました。

ただ、気になったのは、『空手バカ一代』以外の、大山倍達自らの手による著書には、清廉潔白なはずの倍達が、黒人美女との一夜を楽しんだ描写が永遠と書いてあるなど、チョチョイ怪しいところがありました。

もちろん、『空手バカ一代』がほとんど作り話であったことは大人になり、熱病から覚めてみれば、わかります。

では、実際の倍達はどんな人間だったのでしょうか?

そこに迫ったのが『大山倍達正伝』です。

全世界で1000万人と言われた一大勢力・極真会館を作り出した人物が面白くないはずがありません。

そこには、幾つかの驚くべき事実が書かれていました。

日本人ではない

[caption id="attachment_1658" align="alignnone" width="480"] By: futureatlas.com[/caption]

空手バカ一代』では、大山倍達の、死して日本を守ろうと特攻隊に志願したが、特攻する前に戦争が終わってしまい、嘆き哀しんだエピソードが描かれています。ここで死にきれなかった日本男児としての思いが、その後の、米兵との戦いやアメリカ遠征での活躍につながっていく流れになっています。

その他にも、日本男児とは、武士道とはと、ことあるごとに取り上げられ、日本人男性とはこうあるべきという姿の代表として、倍達は描かれていました。

しかし、その倍達が日本人じゃないなんて。

大山倍達は本名崔永宜(チェ・ペダル)という韓国人だったのです。

韓国の裕福な地主の家庭に生まれ育った生い立ちや、日本に渡ってきた理由が、町の有力者の婚約者に手をつけたのが発端となっているあたりも、『空手バカ一代』との印象がだいぶ違います。

空手バカ一代』には倍達の空手の師匠が描かれていませんでした。長年謎でしたが、本書によると、曹寧柱という人物とのこと。

曹寧柱は日本で活躍した韓国人の空手家であり、思想家でした。

曹寧柱の空手の実力は相当なもので、また、思想家としても多くの人間に影響を与えたそうです。崔永宜の日本名『倍達』も曹寧柱がつけたとのこと。それくらい、曹寧柱は大山倍達にとって大きな存在でした。

しかし、それが後年、一切語られなくなったのは、それほど倍達が韓国人であるということを隠したがっていたためだと考えられます。

ちなみに、『倍達』とは、韓国では『昭和』とか『平成』みたいな単語らしく、韓国人にとっては、大山倍達が韓国出身なのは一目瞭然とのこと。

そう言われてみると、昔、大山倍達のビデオを見ている時、「この人随分、なまってるな〜」と思っていましたが、今、見直すと完全に韓国訛りですね。周りの人はどう思っていたのでしょうか?

戦った相手は米兵ではなかった

戦後、進駐軍としてやってきて、強姦や窃盗などやりたい放題やっていた米兵を大山倍達が正義の鉄拳で叩きのめしたというエピソードは、月光仮面のモデルになるなど、大山倍達を語る上で、なくてはならないものになっています。

しかし、実際に倍達が戦っていた相手は米兵ではありませんでした。

このころの日本にいた朝鮮人は、二つの勢力に分かれていました。朝鮮の共産主義的な独立を目指す朝連と、そうではない民族的な独立を目指す建青です。同族でありながら、二つの勢力の争いは、文字どおり血で血を洗うほど激しく、死者も出るほどでした。

[caption id="attachment_1656" align="alignnone" width="480"] By: MIXTRIBE[/caption]

大山倍達は建青の戦闘部隊のエースとして、朝連のメンバーを血祭りにあげていました。ここでの実戦経験の積み重ねが、実戦空手の原型となっていきます。

後年、柳川組の組長となる柳川次郎が、朝連側の用心棒として、大山倍達と命のやり取りをしていく中で友情が芽生えていき、後々、極真会の影の後ろ盾になていく流れは、それだけでドラマになりそうですが、朝鮮の民族運動に参加した事実は、韓国人であることをほのめかしてしまうため、これも隠されたエピソードとなってしまいました。

米国遠征の真実

[caption id="attachment_1648" align="alignnone" width="480"] By: chrismetcalfTV[/caption]

日本代表として渡米した大山倍達が、アメリカンプロレスの猛者たちをバッタバッタと倒していく『空手バカ一代』のエピソードに、私も熱狂しました。

しかし、今は常識となっていますが、プロレスとは興行です。

毎日のように行われる興行を成功させるために、レスラー同士が怪我をする危険のある行為を故意にすることはタブーとされています。もし、そんなことをしたら干されてしまいます。

実際は、レンガ割やハンマーで拳を叩かせるなどのデモンストレーションがほとんどで、あとは、ヒール(悪役)レスラーだったグレート東郷の用心棒的な存在だったようです。

実力を過信していい気になり、プロモーターの言うこと聞かない新人レスラーに制裁を加える役割もあったようですが。

空手界との関係

[caption id="attachment_1649" align="alignnone" width="480"] By: Sean MacEntee[/caption]

空手バカ一代』では、実力主義を貫いた大山倍達は、第一回空手選手権優勝後、伝統を重んじる空手界の異端児として孤立し、迫害を受けててきたとされています。

しかし、実際は、アメリカから帰国した大山倍達は、空手界からも、アメリカで活躍してきたヒーローとして大事にされていたようです。その証拠として、田園コロシアムで行われた『大山倍達vs牛』という伝説のイベントの運営には、当時の伝統派空手錚々たるメンバーの名前が連なっています。チケットのもぎりも、伝統派空手の門下生たちが分担してやっていたようです。

大山倍達は異端ではありましたが、それだけ目立っていたので、空手の普及という点では相当期待されており、また、愛されていたようです。

関係性が悪化したのは、大山倍達極真会館を設立して、『空手バカ一代』で大ブームになった頃からです。そう考えると、『空手バカ一代』の存在って考えさせられる部分が多いですね。

日本と韓国の二重生活

この本で一番衝撃的だったのは、倍達が日本だけではなく、韓国にも家庭を持っていたことです。大山倍達は、日本では、20代の時に結婚し、娘も三人産まれています。それとは別に、50代の時に20代の韓国人女性と韓国で結婚し、三人の息子が産まれているのです。

日本へ密航でやってきた倍達は、戦後の混乱期に、韓国の戸籍と照合しないまま、日本の戸籍をゲットします。その時代だから成せる技でした。そのため、韓国の戸籍がまだ残っていました。日本では既婚のはずの大山倍達が、韓国では未婚の崔永宜として、新たに結婚することが可能だったのです。

晩年、倍達は韓国の家族と過ごす時間を非常に大事にしていたようです。作られた英雄・大山倍達ではなく、一人の平凡な韓国人のお父さんとして過ごせるこの時間は、倍達が本当の自分を取り戻せる数少ないチャンスだったのかもしれません。

[caption id="attachment_1652" align="alignnone" width="480"] By: puffyjet[/caption]

人間・大山倍達に触れて

このように、『大山倍達正伝』で描かれる大山倍達は、『空手バカ一代』のイメージとは大きくかけ離れた人物像を呈しています。しかし、だからと言って、門下生1000万人とも言われた極真会館を作り上げた実績や、日本、いや世界の格闘技界に絶大なる影響を与えた事実は、みじんも揺らぐことはありません。

私は、人間・大山倍達に触れることで、その、人間臭い愛くるしい魅力や、ある種マンガを超えた超人性に、かえって惹かれるようになりました。

正直、『大山倍達正伝』は読みづらい本でしたが、もう一度、青春を捧げた大山倍達を堪能することができて、良い読書体験になりました。