白石の快気堂鍼灸院ができるまでのお話を何回かに分けて書いていきます。
私も一緒に働く事を考えたのですが、父の治療院に来られる患者さんは、あくまで父の患者であり、結局は父の治療を求めて来ているのです。私は、自分の治療法を追求して、より多くの人に貢献したいという思いが強く、新たに開業しようという事になりました。
父親が出した条件は「快気堂鍼灸院」の名前を継ぐ事でした。本当は「どんぐり鍼灸院」とか親しみやすい名前にして「どんぐり先生」と呼ばれたかったのですが、父が築き上げてきた「快気堂 」という名をを継いで広めていくというのも、東洋思想的で悪くないと考えました。
開業するための物件探しは難航しました。条件は欲を言えばきりがありませんが、理想の治療を追求するために、長く腰を据えてじっくり構えられるところがいいなあと、漠然とした思いがありました。しかし、どんな事でもそうですが、理想と現実には天と地程の開きがあり、なかなか良い物件が見つからない日々が続きました。候補となる物件を見つけては、家族みんなで見に行き、「う~ん、、」と顔を見合わせるといった事が3年程も続きました。その間に私も大学院に入ったり、結婚したりするなどといった事があり、思い返してみると3年とは短いようで長い歳月だったなと今更ながら感じております。運命とは面白いもので、ベートーベンの交響曲のように突然ドアを叩くらしく、この結婚が物件探しの転機になりました。
結婚して、私は奥さんのマンションで生活する事になりました(この歳で学生なんかやっているもので、お金がなかったのです、奥さんには一生頭が上がりませんね)。あるとき、うちの、、いや奥さんのマンションの隣にある不思議な白い家が気になり始めました。手入れが放棄され、ジャングルのようになった庭の奥に、古いんだけど、作りは変に手が込んでて、おかしな無国籍的な情緒も醸し出している白い建物。よく見ると、「はり・きゅう治療専門」と書いてるではないですか!
この辺りに詳しい奥さんの母親に聞いてみると、いつも行列が絶えないくらい繁盛していた鍼灸院だったとの事。院長のS先生はこの辺りでは名人として有名で、歩けなくなって担ぎ込まれた人が、帰りにはスタスタと歩いて帰ったという目撃証言が多数あるのだとか。しかし、S先生はご高齢かつ体を壊したらしく、4年程前から閉まっていて、今は誰も住んでいないらしいという事でした。ここで治療できたら、すごく良さそうだなぁと、それも、整骨やマッサージを併設する人達とは違って、はり・きゅう専門を謳っている辺り、自分と共通するものがあって、運命を感じるなあと夢想する毎日。義理の母のつてをたどって聞いてもらったところ、S先生は復帰する気持ちが強いらしく、交渉は進みませんでした。前を通る度に、指をくわえながら、ため息をつくばかりの日々。しかし、2012年の8月11日、なにやら隣が騒がしいと見に行ってみると、「売」の看板が!!
興奮して不動産屋さんに電話すると、「さっき看板をつけたばかりなのに、、」と驚かれました。早速、中を見せてもらう事に。しかし、中を見て唖然!!となりました。
つづく