学生向けの講演をするため、長崎県まで行ってきました。
人生初の長崎だったため苦労もありましたが、ステキな出会いに恵まれ、有意義な出張旅行となりました。
長崎で講演することになったきっかけ
札幌から遥か離れた長崎で講演することになったのは、こころ医療福祉専門学校の学科長・近藤和史先生からのお招きです。
札幌鍼灸師チームの永田亮太先生(亮鍼灸院)が、近藤先生と鍼灸専門学校のときの同級生で、縁を繋げてくれたのです。
初の九州遠征に気持ちが入ります。
遥かなる長崎
札幌から長崎までは想像以上の遠さでした。飛行機の直行便がないためです。
福岡まで飛行機で飛んで、JRに乗り換え長崎まで行くか、羽田経由で飛行機を乗り換えて長崎へ行くかの2択です。
福岡ルートの方が安くて、金額が半額位になります。
今回は時間と予算の関係上、行きは福岡ルート、帰りは羽田ルートを使いました。
福岡の味を堪能
永田先生と千歳空港で合流し、スカイマークで福岡へ。
福岡はとてつもなく混み合っていました。
東京以上の混み具合に圧倒され、ルート選択に迷い、時間の余裕が無くなってしまいました。そのため、昼食は福岡駅のホームにて地面に正座して弁当を食べるはめに。
弁当に入っていた明太子が美味しかった他は、福岡らしさは皆無でした。
福岡から長崎は、札幌からだと帯広に行く距離に近いです。
「特急かもめ」の車窓から見る夕暮れ時の九州の景色は北海道とは全く違い、印象派の色彩みたいで、「遠くまでキタ━(・∀・)━!!!!」という感慨にふけりました。
長崎講演への不安
講演で重要なのは、誰に何を伝えるかです。
恥ずかしながら、私には長崎の知り合いがほとんどいません。
長崎の鍼灸師や学生を上手くイメージできず、伝えるメッセージをどうすべきか悩みました。
私の母親が鹿児島出身なので、鹿児島の人の雰囲気はわかるのですが、同じ九州でも長崎は全く違うとの話です。
わからないことをバカな頭で考え続けても始まらないので、自分が学生だったときのことを思い出してみました。
何となく鍼灸
学生時代は「鍼灸って曖昧だなー」と感じていました。
何となくハリと灸をして、何となく良くなって、何となく勉強して、長年続けてたら何となく上手くなって、何となく世間に認知されていて、何となく生活していける、みたいな。
そういう世界が比較的好きではありましたが、曖昧さの向こうにキラキラとした希望を抱くことは出来ませんでした。
どちらかというと、「ぼんやりとした不安」に包まれていました。
長崎で伝えたいメッセージ
今、鍼灸師の免許を取得しても、鍼灸をやらなかったり、鍼灸をメインとして使わない人が多数派を占めています。
鍼灸の未来に対する「ぼんやりとした不安」が、この大きな原因の一つだと私は思います。
この状況は、札幌でも東京でも一緒なので、日本全体に共通するものではないかと思います。
鍼灸には大きな可能性があり、進化した鍼灸は既存の治療法をものともしない力があります。
その力は日々の臨床ではもちろん、病院や研究室で確認され、医師や研究者にも高い評価を受けています。
現代医学では効果が出ず、諦めていた方達に、広く役立つことができるようになってきてるし、役に立てる環境は拡大し続けています。
医療として、鍼灸師にはワクワクするような確たる未来が待っているのです。
自分の技術で、体の不調で困ってる人たちの役に立ち、喜んでもらえる鍼灸師って職業は、なかなか稀な仕事だと思います。
私は、長崎の皆さんに伝えるメッセージを
「鍼灸師って最高!」
に決めました。
出島で受け継がれる想い
札幌を出て10時間、ようやく長崎に到着しました。時間が少しあったので、永田先生とともに出島に行きました。
鎖国中の江戸時代、世界の情報に唯一触れられるのが出島でした。そのため、向学心に燃える優秀な若者達が全国から集まったと言います。世界の情報に触れたこの若者たちから日本全国に知識は拡大していき、やがては倒幕の大きな力になっていきます。
権力者がいくら閉じ込めようとしても、止めることができなかった人間の自由や発展への熱い想いに心が震えました。
このムーブメントの中心になったのが日本の医者たちであったという事実も、私たちの心をさらにアツくしました。
教師というアツい生き物
出島で着火された熱い想いを、港サウナの水風呂で落ち着けたあと、今回招待してくださった近藤和史先生と居酒屋で打ち合わせしました。
近藤先生は、非常にアツい先生で、鍼灸に対する想い、生徒に対する想いを聞かせていただくうちに、私たちの一度沈静化した火が再び燃え上がるのを感じました。
近藤先生の、愛情深いゆえに感じる歯痒さが痛いほど伝わり、講演への気合いが入りました。
さあ、いよいよ、長崎の鍼灸学生達と対面です。
その模様は、次回!