名人と謳われたS先生の治療院跡は再利用するには、大規模な改修が必要であり困難な道が予想されたが、父・邦夫の「Yes We Can !」という力強い言葉に勇気づけられた私、かずひろは、この物件を購入する決意を固めたのでした。
不動産屋さんによるとS先生は、2012年の春頃亡くなられたとの事。現在、この物件の所有者は奥さんである事を聞きました。
不動産屋さんに頼み、奥さんに「S先生のはり・きゅう専門治療への思いを引き継ぎたい」と伝えて頂いた所、値引きにも応じて頂き、すぐに契約がまとまりました。余りにも早く決まったので、この物件を目玉商品としてデザインした宣伝用のチラシが全く無駄になった、と不動産屋さんが嬉しそうに嘆いていました。
法律上の手続き等を終え、9月20日、ついに念願の、地に足をつけて治療をしていくための物件を手に入れました。
次はリフォームです。治療院の問題点は次のような感じでした。
- とにかく狭く、畳敷き
- 断熱設備が弱く、冬は寒い
- 自宅と治療院の仕切りがガラスでプライバシーへの配慮が難しい
- 築30年の歳月による劣化
等々。これらを解消するためには、相当のコストがかかることが予想され、今回のビフォア・アフターの難易度の高さが伺えました。
そこに颯爽と登場したのが、
じゃーん!!今回のリフォームの匠、DIYの最後の侍こと谷地邦夫(64歳)です。
って、うちの父ちゃん!!
父・邦夫は大工でもなんでもない鍼灸師なんですが、死んだ祖父が天皇陛下の泊まる部屋を作った腕のいい大工の棟梁だったためか、大工仕事をやってみたくてしょうがないらしく、我々の心配をよそに、猛烈に計画を練り始めました。こうなると、手が付けられない。下手に止めると、趣味の居合いで使用する日本刀を振り回しかねない勢いなので、やれる所までやらせることにしました。かろうじて、父の弟、つまり私のおじさんが、水道関係の仕事をしていたので、水回りはおじさんに任せられそうなのが救いでしょうか。
なにはともあれ、これぞコスト削減の極み、家内制手工業による一軒家のリフォーム作業が開始されました。
まず、庭の巨大植物達との格闘が始まりました。
例年になく暑く長かった2012年の夏。放置され、わんぱくに育った巨大植物達は本当に手強い相手でした。さらに、我々をより悩ませたのは、ゴミの違法投棄でした。
住人がいない事を良い事に、椅子や掃除機や布団等、様々なものが庭に投げ込まれていました。優雅に思えるけど、町中で広い庭を持つのは大変なんだなあとしみじみと感じました。妊娠中の奥さんも含めた家族総出の作業によって、なんとか庭を奇麗にすることができました。
ここは、治療院の駐車場になる予定です。
次は、部屋の間取りを変えるため、壁をハンマーでぶっ壊していきます。
当初は、破壊衝動に任せ、ただ闇雲にぶっ壊していましたが、粉々になるとゴミの分別がしにくい事にかなり後になって気付き、壊す前に壁紙をきちんとはがす事にしました。こんな知識がつくのも、自分たちでやらなきゃわからない、家内制手工業の醍醐味ですが、この知識を今後どこで役立てるかは謎です。
壊した壁の石膏ボードは肥料になるそうで、父・邦夫が所有する簾舞の農地へ蒔くという、恐ろしくエコなリフォームの匠の技です。
普段は研究室でフラスコを回すぐらいしか運動をしていなかった私もヒーヒー言いながら壁を粉砕していきました。
しかし、素人集団の限界か、壁を壊すだけで恐ろしく時間がかかり、長かった夏もいつの間にか過ぎ去り、季節はいつしか冬になってしまいました。
つづく